2017年9月27日に62歳で亡くなった多摩動物公園のボルネオオランウータン、ジプシーさん。1958年のオープン時から多摩動物公園で約60年を過ごし、先日静かにその生涯を閉じました。

ジプシーさんのお世話を長く担当し、「オランウータンのジプシー」という本を書いた理事の黒鳥さんからジプシー宛のメッセージをおあずかりました。

 


9月27日に多摩動物公園で開園当初のころから暮らしていたボルネオオランウータンの「ジプシー」が推定62歳という世界最高齢で亡くなりました。

私も幸運にも彼女が50代になったおばあさんのころに8年ほど飼育させてもらいました。でも60年間動物園に暮らした彼女にとっては、ほんの一瞬の飼育員だったのかもしれません。

ジプシーは相手の気持ちをよく理解し、争いごとは避けるタイプで、ほかのオランウータンや飼育員に対してもとても優しく接してくれました。とくに子どもたちにはとても寛大で一緒に遊んだり、自分の食べているものもあげるほどでした。それにとても好奇心のある元気なおばあさんでもありました。

動物園の人や多くのファンの方から「ジプシーさん」と呼ばれていました。ジプシーはオスの「ドンホセ」や「ジロー」との間に4頭の子どもがいて、どの子どももメスでその後たくさんの孫たちが生まれ、その中には北は旭山動物園の「ジャック」や釧路市動物園の「ロリー」、南は宮崎フェニックスの「ハッピー」や鹿児島・平川動物園の「ポピー」など国内で飼育されているボルネオオランウータンの33頭のうち半数近い16頭がジプシーの血統です。

ジプシーは多摩動物公園が開園して2か月後に現地、ボルネオからやってきました。いまでは数少ない野生由来の個体です。全てのボルネオオランウータンのうち4頭が野生(ボルネオ)でそのほかは野生を知らない動物園生まれです。

今ではワシントン条約(CITES)によって野生からの輸入は固く禁じられていますが、当時、野生から動物園につれてこられるときはゴリラやチンパンジーも同じですが、群れのなかまや、母親を殺してその小さな子どもをとって船や飛行機などで文明国に運ばれてきました。

たぶんジプシーも同じように母親とは推定2歳のころに離れ離れになって日本に連れてこられたオランウータンだと思います。オランウータンはふつう7~8年母親と一緒に過ごし、その間多くのことを学びます。私も野生由来の類人猿に接すると、心身ともかなり不安な状態で飼育がはじまったのだと来園した時のことをいつも考えてしまいます。

ジプシーが過ごした60年、それは動物園にとっても、ジプシーが母親と過ごしたボルネオの森でも大きな変化をもたらしました。動物園ではジプシーがオランウータンという動物を興味深く私たちに自ら教えてくれたように思えます。私たちもオランウータンに対して以前よりも住みやすい施設を提供できるように努力しました。

しかし、推定2歳までボルネオのどこかで母親と過ごした広大な森は60年の歳月でヒトの手によってどんどん開発が進み、多くがアブラヤシのプランテーションに変わってしまいました。もしかしてジプシーの仲間の住む場所もすでになくなっているのかもしれません。

2005年に多摩動物公園でスカイウォークをつくり、初日に飛地の森の高い木の上でずっと空を見上げて夕方になっても数日戻ってこなかったジプシーは、きっと幼少のころ過ごした森を48年ぶりに体験したのではなかったでしょうか。とても印象的でした。そしてそのことが私を現地の保全に力を注ぐように導いたです。

ボルネオの森で絶滅に瀕しているオランウータンたちが仲間と安心して過ごせるようにという「ジプシーとの約束」はいつまでということはなく、これからも続けていきます。

ジプシー、いろいろとありがとうございました。

黒鳥英俊